あさってに向けて吐露(うつ病と出会ってからの徒然)

うつ病をきっかけに考えたこと。半生の振り返りをかねて。

カテゴリ: 振り返り

ブログネタ
就活に役立って欲しい! に参加中!
いろいろな学生の就職活動支援をしていて、
自分自身があまり紙の履歴書を書いたことがない、という事実に気が付いた。 

紙幅に制限があるし、文字を丁寧に書く必要があるし
そんなこんなで一通書くのに労力がかかるので、
Web形式に比べて多くの企業に提出することができない。 

兎にも角にも五月雨式にエントリーして、五月雨式に不合格をもらって疲れていく
近年の就活の風潮に批判の声が寄せられているところを鑑みるに、
かえって合理的な制約なのかもしれないな、と見直してみたくなる点もある。

いざ就職したあとに常識として直面するQCDを考えても、
丁寧さには時間の代償を伴うことが必然だ。

空気に押されて思考停止しているだけで、横一線で就職できなくても死ぬことはないし
急いては事をし損じるということもある。
丁寧に考えたことは丁寧に吐き出せるので、結果も丁寧に相手に伝わり良い結果に結びつく。
就活はつまるところ会社と個人のコミュニケーション以外の何物でもないのだから
逆もまた真なり、だ、と思う。

学生たちには、いま、就職したいと考えている理由は何かを自分に問うて
その出てくる答えに納得することが、実は就活を始めるうえで
一番大事なスタートラインなのではないかと伝えるようにしている。

単純に考えること。核心に迫るために、そぎ落としていく作業をするには
他を止めて考える必要がある。スローダウンだ。

この文章は、自分のために書いているようなものだから
僕自身に必要なのももちろん、これだ。

他を見て疲れることの愚かさから脱却すること。
息長く、人生を漕ぎ進めていくために必要なのは人後に落ちないための強力なエンジンではなく
オールをもち方針を決める船頭自身の個の確立なのだと僕は思う。


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今日は息子の保育園の入園式。

息子の入園時はまだ働いていたから
1年ではなく、2年前
と考えると、伏せている時間の経過の速さを改めて感じてしまう。

サクラサクのサクという音が鋭利なとげを連想させる。

でも、ここ数日はまさに日に日に桜が開いていくのが目に見えて
改めて、植物の強さとか、自然の流れの大きさとかを
驚きをもって迎えられるのは、これまでになかった感覚だとも思う。

止まったままの時間を過ごしているようで頭の痛いことだらけのいまだけど
自分の感覚におこっている変化だけは、認めてもよいのかもしれない。

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引っ越しに関するエントリーを書いた後にふと思ったこと。

子どもにとってベストであることは家族にとって
そしてもちろん父親としての僕にってもベストである

と考えることは絶対に間違っていない。

間違っていないどころか、それは最高に理想的で、
規範的で、模範的な思考であると思う。

ここで言いたいことは、命題中の子どもを妻に代えてもいいし、
父親を母親に入れ替えても成り立つと思うのだけど

こうした、最高に理想的で、規範的で、模範的で
もうそれしか選びようがない選択肢を選ぶとき人は

後戻りできず、自身に不正直な態度で、
無理を押し通そうとする危険を秘めていることを
ささやかながらに記録しておきたい。

こういう選択肢の前で吐き出せず飲み込む言葉はおそらく
結果選ぶ選択肢の大事さを知ったうえでなお出てくる反証なので

偽善やねつ造に類する我儘ではなく、
むしろ陽の下で限界まで取捨選択のための試験を行うべき気づきである。

この手の試験を省略すること、いわば、間違った我慢をすることは、
いつか破裂する爆弾を体内に取り込むことに等しいのである。

まったくの良心から

「〇〇のために、頑張る」ことを選べるくせが
身についてしまっている人ほどうつ病と相性が良いらしい。

この趣旨の経験談は枚挙にいとまがないのである。


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ブログネタ
学生時代の通学時間はどれくらい? に参加中!
上京した最初の年は右も左もわからず、
要乗り換え、45分の区外に学生マンションを借りていた。
西武新宿線のラッシュアワー(一年次は必修の関係でとかく1限が多かった)に
もみくちゃにされた嫌な思い出がある。とくに身動きの取れない状況で
目の前にいたOLにチカン扱いされて肘鉄くらったのは特にダメージの深い経験だった。。。

 それもあってか、二年次以降、そして大学代わって修士のときも卒後の住居選びの時も
可能な限り学住近郊・職住近郊を心がけてきたように思う。

子どもができて都心から退くまでの生活は、
いま思えば家賃が高いこと以外の何の不満もなかったな。 

通勤のストレス、結局のところこれが目に見える意味では
最大のトリガーとなって動けなくなってしまったので、
居住地選択に伴う不可避の要素とはいえ、
今後の生活の中でも折に触れて懸案すべき要素になるだろう。

思えば、前々職で働いていた際も
息子が生まれて以降、深酒することが増えた気がする。
本来なら、飛んで帰って寝顔の一つも撫でたいところ、
電車で長距離(それまでと比べて)帰ることになる環境変化に
無意識に反応していたのかもしれない。

また別の機会にも触れたいところだが、
本格的に調子を崩す前の一か月ほどの一人酒の頻度は自分でも驚くほどに異常だった。
(その時には誰かと話したい意欲が完全に消え失せていたので、一人で飲むしかない。。。)


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Facebookでまわってきた記事を見て胸に突き刺さった。

いわゆる見かけの意識の高さではなくて、
泥まみれでも、失敗しても、旨に宿す志は高くもちたい。

起き上れるだろうか。
やり直せるだろうか。

備忘のために
http://ow.ly/v6yrb

人生の中で何が起こるかというのは、自分で思っているよりもコントロールが効かないもの。何かが起こったあとに自分がどういう行動を取るかはコントロールが効くんです。転んでしまったときに、辛いからといってそのまま地面に倒れてしまうのも選択肢のひとつですし、起き上がって頑張ることも選択肢のひとつ。自分の今までを振り返ってみて、成功と失敗の違いというものがもしあるとすれば、何回転んだかは重要ではなくて、「途中であきらめたか」と「最後に起き上がって頑張ったか」の違いでしかない。最終的にあきらめずに頑張れば、人生に失敗なんてないと僕は思います。 
 
そして人の言葉を借りる形になってしまいますが、「人は必ず生まれながらにして特別なものを持っている。その力を、自分自身よりも大きなもののために使って欲しい」ということを最後にもう一度伝えたいです。そういう人生は簡単でも楽でもないかもしれませんが、必ず自分を成長させてくれる有意義な生き方であると信じています。 

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