おおむね順調な1か月を経て現状確認の意味でカウンセリング

定期的な運動という宿題については達成できていない(長続きしない)のだけど
特に話題もなかったので病気以前から懸案だった発話に関する悩みをぶつけてみた。

起承転結ないし筋道立てた話し方だけがすべてではなく
それを求められる場ばかりではないよ、というのがざっくりとした結論で
僕自身にとってはとても腹落ちできる内容だった。

当たり障りを気にして黙ることも、正しいことだけを言おうと長考することもまた
その場の人に当たり障りうるわけだし
思いつきでしゃべろうとも、よしんば矢継ぎ早に正しいことを話し続けたとしても
それはそれで当たり障る人が出てくるものだ、と。

空気を読むなというわけではないけれど、読んでもしょうがない空気があるということ
その空気の実像やどう読んでいるかという方法は結局のところ個々人の内心に依存するため
悩んでも満足いく答えが得られることはなさそうだということに気づくことが肝要なのだと思った。

とはいえ、場の読み方を多様にすること(トレーニング)
筋道立てて話す力も養うこと(アカデミックなら、それは必須のお作法である)
そうではない話し方も養うこと(世間話、雑談である)
そしてそれらを適切に使い分けられる力を養うこと
この掛け算で人と向き合えば、いまより幾分かは景色は豊かになるだろう。 

思いつきで書き下ろしてもなんだか理屈っぽくなる文体自体はご愛嬌だ。