あさってに向けて吐露(うつ病と出会ってからの徒然)

うつ病をきっかけに考えたこと。半生の振り返りをかねて。

ずいぶん長い間更新が滞っていましたが、元気です。

病を得て、失ったものの多くは取り返せたように思えてきました。

天気の悪い日や、締切に対するプレッシャー、突然やってくる疲労感等、
いまだにぐーっと落ち込む瞬間はなくならないけれど、

病を得た、というまさにその経験を得られた気さえしている今、
そして起業して新しく人生の歩を進めようとしている今では、
すこし別のところで、別の形で文章を書くことが適当なのではないかと思っています。

病気のことを世間に常にオープンにしても良いかどうか、
そうすることで損得があるか、ということを考えた結果、この結論に至りました。

変わらず、自身の内的な葛藤や、同じ病気に苦しむ人、苦しんだことのある人に向けて
こちらにも思うところを書いていくつもりですが、自分の中で更新の一区切り、としたいと思います。

何度か足を運んでくださった方がいることを知っています。
本当にありがとうございました。

今後とも、よろしくお願いいたします。


 

会計に関するなぞがいっぱい解けた一日。
(正確にはどこから着手していいかが分かっただけなのだけど、ポジティブに蟻の一穴だと考えよう。)

出ずっぱりの反動か、深夜に目覚めて以降
目がさえて寝付けず、あっちこっちに考えが飛び回っている。
週末からの3連休で少し体を休めないと。

足かせ付きながら、何連休目かもはや数えられないわけで、
連休なんていうのはもはや僕の生活の外にあるのだけど

この1年半で見れば、調子は確実に戻ってきているので
うまいこと流れを捕まえて、一歩一歩、確実に進んでいきたい。


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30歳の誕生日を迎えてしばらくたった。
陽の当たらないところで少しずつ進めてきたいくつかの事柄が
カタチにありつつある状況で、いまひとたび、内省を、試みる。

病気を得てただひたすら沈んでいた時期を脱していく過程で
家庭の支援を得られたことは本当に幸いだった。
寛解までは道のり長く、まだまだ妻に子供に迷惑をかける日は多いのだけど
これから先、何があっても家族への忠誠を基軸に生きていくことは間違いないと思う。

うつ病を克服した人の本を読むとその多くが人生観、生き方の変更を語るのだけれど
いま僕の手元に感じる一番大きな変化はこの点にある。

占いのテキストに志向のフィルタとしての重要性を感じられたのも一例だが
認知と行動について客観的に見直しを図る中で、自分の価値観を根本から
覆すことよりも、目の前にある事象の捉え方・見方を複数持つこと、
状況に応じてそれを使い分けられることの大事さを知る。

見方を変えると、いままで自分を害するはずだったものさえ、味方に変えることができる。
人生の意味に紐づけて重く捉えがちだった生き方さえも
目的に向かうための方法、
すなわち「行き方」の選択と実施に過ぎないものだと読み直せるようになる。

人生という漠とした概念を、自分の都合の良いサイズに切りだして、
具体的な一つ一つの目的・手段関係の問題として取り扱うことができると
いたずらに自分自身を責めたり傷つけたりする心の動きと距離を置けるようになる。

客観化して合理性を基準に捉えるフィルタが、他人に対しては機能するのだけど
自分に向けてはうまく働かない。これは誰にでもあてはまる、いわば人の性なのだけど
僕個人の場合は特に、そのことをつど意識しないと、しんどい思いをするわけだ。

自分と向き合うことの効用は、他者との比較からの自由になることも一定程度保証してくれる。
他者の評価や行動はまさに他者に生じている事象であって、
自分にとってその時選択している手段ではない。ねたみや嫉みや自己卑下は
そこに無自覚なまま、自分と他人を混同するから起こる非効率な心の動作だと思う。
件の、目的・手段の組み合わせとして合理的だと共感できる場合に限り、素直に他者に感心し
経緯を感じることができるなら、それは積極的な意味での学びとなり、自身の将来を豊かにする味方になるはずだ。


乱暴にまとめる。
生き方を失ったり、迷ったりすることはとても辛い。
けれど、それが行き方の修正である場合には、学び得られこそすれ、
失い苦しむことはほとんどなくなるのではないか。

最近はそんなことを考えながら、一つずつ、確かめるように歩を進めている。

まったく別件だけど、ワールドカップの決勝戦が面白すぎて目が離せない。
東京ドイツセンターのパブリック・ビューイングに参加すればよかったか。。。。
(当方、応援は100%ドイツ側。)


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